こんにちは。管理人です。
なぜ、勉強しないといけないのか?
みんな勉強という言葉は好きではないと思いますが、とりあえず勉強と言っておきます。
同じような感じで、なぜ学校に行かないといけないのか?という疑問があります。
とりあえず、社会のルールで、そう決まっているから行くわけです。
「学校」に行って、「勉強」する。
一応そう決まっているからそうする。
学校に行くと同年代の子どもがいて、まあ同じように勉強して、同じようにゲームやアニメやユーチューバーが好きだから、友だちになったりします。
その友だちを作るというのは、実はなかなか難しい。そんなに考えて作るものではないけれども。
一応、何か目標らしきものに向かって、みんなが学校に集まって勉強するというゆるいつながりがあるから、そのなかで友だちができる。
逆に言えば、目標らしきものを共有しているから、学校に行くことができる。
そのように考えると、「何となくみんなと目標を共有している」という感覚が無くなってしまうと、学校に行くのがつらくなる。
これは、大人の仕事の世界では、はっきり現れる。
「みんなで同じ目標に向かって仕事をしている」という感覚が無くなってしまうと、仕事をするのがつらくなって、その会社を辞めるかもしれない。
大人でさえそうなのだから、子どもの世界もそうなのだろうと思います。
なぜ、勉強しないといけないのか?という疑問は、大人に置き換えると、なぜ、仕事しないといけないのか?というのと同じですね。

小説家で工学博士の森博嗣さん。『すべてがFになる』という小説が代表作です。
その森さんは、『「やりがいのある仕事」という幻想』という本を書いています。
森さんはこの本のなかで、「働きたくない。なぜ働かないといけないのか?」という疑問に対して、次のように答えています。
基本的なことをいえば、人間は自分がやりたいことだけをして生きていける。スキーがしたい人は、たぶんスキーで滑るときが楽しいのだと思うけれど、スキー板を担いでまた山の上まで登らなければ、続けて滑ることができない。リフトがあるけれど、これは金を取られるので、面白くないだろう。でも、そういうものを全部ひっくるめて、「スキーをしている」と言えるのだと思う。
やりたいことをするには、まず、布団から出て起きなければならない。服を着なければならないし、食事もしなければならない。やりたいことをするための準備もある。体調も整えなければならない。楽しいからといって無理をすると、躰を壊してしまう。いくら好きでも、ずっとそれをすることはできない。これらも全部ひっくるめて、「やりたいことをしている」と言うのである。
やりたいことをするための準備というものがあるように、仕事だって、やりたいことをするための手段にすぎない。だから、やりたいことがあれば、仕事も自然にやりたいことに含まれるだろう。
もし、やりたいことには資金が必要だ、という場合には、これはそれだけの金を稼ぐ方法を探さなければならない。それも「やりたいこと」の一部だと認識するしかない。そうまでしてやりたくない、というのなら、それは「本当にやりたいこと」とはいえない。
仕事は、「やりたいこと」のなかに含まれる。
やりたいことをするためには準備が必要。
仕事は、やりたいことをするための手段にすぎない。
このように、森さんは言っています。
これは勉強も同じですね。
スキーをしたいから、スキー板を担いで山の上まで登るのと同じように、やりたいことがあるから、勉強をするということになる。
みんなでやるか、一人でやるかはともかく。
要するに、勉強することより、やりたいことを見つけることのほうが大事ですね。
じゃあ、ゲームのなかに、勉強も含まれているのかな?含まれているんでしょうね。
ゲームのルールを覚えないといけないから。
やりたいことのなかに、勉強も含まれるという話でした。
では、また。